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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)10809号 判決 1991年9月12日

原告

北岡信一

被告

山口茂

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一四七八万九八一一円及びこれに対する昭和六三年一二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  交通事故の発生

次の交通事故が発生した。

(一) 日時 昭和六〇年八月五日午前七時五〇分頃

(二) 場所 大阪府守口市八雲東町一丁目二二番地先路上(交差点)

(三) 加害車 普通貨物自動車(大阪四六せ二九一号)

右運転者 被告

(四) 被害車 原動機付自転車(寝屋川市あ六八五〇号)

右運転者 原告

(五) 態様 加害車が前記交差点を東から南に左折しようとした際、左後方から直進してきた被害車に加害車左側部を接触させ、原告が被害車とともに路上に転倒した。

2  責任原因(自賠法三条)

被告は、本件事故当時、加害車を保有し、これを自己のために運行の用に供していた。

3  治療の経過、後遺障害の認定等

(一) 原告は、本件事故後、頸部捻挫、腰部捻挫、右膝挫傷兼擦過傷、頸椎椎間板損傷等と診断され、次のとおりの治療を受けた。

(1) 守口生野病院

昭和六〇年八月五日通院(実通院日数一日)

(2) 斉藤整形外科

昭和六〇年八月六日から同年一〇月二三日まで通院(実通院日数五二日)

(3) 西淀病院

昭和六〇年八月三〇日から昭和六一年四月五日まで通院(実通院日数九七日)

(4) 福島赤十字病院

ア 昭和六一年四月七日から同年六月二〇日まで入院(七五日)

イ 昭和六一年七月三日から同年九月二五日まで入院(八五日)

ウ 昭和六一年三月三日から昭和六二年七月二四日まで通院(実通院日数一三日)

(二) 後遺障害の認定

原告の症状は、昭和六二年七月二四日、福島赤十字病院の医師により症状が固定したと診断され、右後遺障害は、自動車保険料率算定会調査事務所により、脊柱(頸椎)に奇形を残し(自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一一級七号)、骨盤骨に著しい変形を残す(同一二級五号)として併合一〇級に認定された。

4  損害の填補

原告は、被告らから次のとおり一三八〇万三五三二円の支払いを受けた。

(一) 被告から守口生野病院、斉藤整形外科及び西淀病院の治療費並びに休業補償として三三一万四七八〇円

(二) 自賠責保険から後遺障害保険金として四三四万円

(三) 労災保険から療養補償給付、休業補償給付及び障害補償給付として六一四万八七五二円

二  争点

1  原告の主張

原告は、本件事故により、約七か月入院したほか、長期間の通院を余儀なくされたばかりか、前記のとおりの後遺障害が残され、次のとおりの損害を被つたと主張し、既払額を控除した残額であるとして、一四七八万九八一一円の損害賠償を請求する。

(一) 治療費 四一四万八五五四円

(1) 守口生野病院分 五万一六四〇円

(2) 斉藤整形外科分 二八万四七八〇円

(3) 西淀病院分 四二万二四九〇円

(4) 福島赤十字病院分 三三八万九六四四円

(二) 入院雑費 二〇万五〇〇〇円

(三) 福島赤十字病院への通院交通費及び現地宿泊費等 六五万円

(四) 休業損害(賞与分を含む。) 一〇二一万一九一六円

(五) 後遺障害に基づく逸失利益 五七四万八五〇九円

労働能力喪失割合二七パーセント、期間五年間

(六) 慰謝料

(1) 入通院分 二五四万円

(2) 後遺障害分 四三四万円

(七) 弁護士費用 五〇万円

2  被告の主張

被告は、次のとおり、原告の頸椎椎間板損傷等と本件事故との因果関係を争うほか、過失相殺を主張し、既払額を超えて損害賠償義務は負わないと争つている。

(一) 原告の症状と本件事故との因果関係

原告には、退行性変化である頸椎骨軟骨症、変形性腰椎症の既往症があり、頸椎椎間板損傷は右の頸椎骨軟骨症が本件事故と関係なく進行した結果によるものであり、その治療と本件事故との因果関係は認められず、また、これに起因する後遺障害と本件事故との因果関係は存しない。

(二) 過失相殺

原告は、前方を注視し、他の交通の安全に注意して進行すべき義務があつたのに、これを怠り、右前方を進行中の被告が左折の合図をしたことに気付かず、漫然と時速三〇キロメートルの速度で進行したため、本件事故に至つたものであるから、相当な割合による過失相殺がなされるべきである。

第三争点に対する判断

一  原告の受傷内容、特に、椎間板損傷と本件事故との相当因果関係

1  原告の既往症、本件事故の状況、本件事故後の治療の経過等

前記第二の一の争いのない事実に、証拠(甲一ないし一〇号証〔ただし、甲一〇号証については記載部分の一部〕、一二ないし三一号証、乙一ないし四号証、七ないし一〇号証、一七号証の1、2、一八号証、証人斉藤實、原告本人〔一部〕)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、これに反する甲一〇号証中の記載部分及び原告本人の供述部分は、他の前掲証拠に照らし、信用することができない(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は当該事実の認定に当たり特に使用した証拠である。)。

(一) 原告の既往症等

ア 原告は、昭和一七年三月二日生まれ(本件事故当時四三歳)の男性で、中学卒業後、溶接工等の仕事をしていたが、昭和五七年三月、足の痛みを訴えて斉藤整形外科で治療を受けて以来、その後も同科に通院し、手の打撲、足指の骨折等の治療を受けていた。

イ 原告は、昭和五八年四月二五日、斉藤整形外科で受診した際、肩凝りと腰痛を訴え、レントゲン所見上、第五、第六頸椎間の狭小が見られ、腰椎にごく軽度の骨棘と第四、第五腰椎がやや狭いという程度の異常が認められたため、頸椎骨軟骨症、腰痛症と診断され、頸部の介達牽引、温熱療法などの治療を受けたが、その症状にさしたる改善は見られないまま、同年一〇月二一日以降、頸部と腰部の症状に対する治療を受けなくなつた。

(乙四<7>、一八、一九、斉藤証言、原告本人)

(二) 本件事故の状況

(1) 本件交差点は、信号機による交通整理の行われていない交差点であり本件事故現場付近の状況は、別紙図面記載のとおりである。

(2) 被告は、本件道路を時速約三〇キロメートルの速度で西進中、本件交差点で左折するため、別紙図面<1>付近で左折の合図をしながら減速し、約一〇メートル進行した<2>付近から時速約一五キロメートルの速度で左折を開始したところ、約五・八メートル進行した<3>付近で、自車左側面を被害車に接触させた。被告は、左後方でボーンと音がしたので驚いてブレーキをかけ、約四・五メートル進行した<4>付近で停止した。

(3) 原告は、時速約三〇キロメートルの速度で本件道路の左側外側線付近を直進していたところ、右前方を走行していた加害車が左折してきたのを認め、驚いて急ブレーキをかけたが、間に合わず、被害車の右ハンドル付近が加害車の左後部ドア付近と接触し、原告は、被害車とともに路上の<イ>付近に転倒した。

なお、本件事故後行われた実況見分の際、被害車のものと認められるスリツプ痕が路面に残されていた。また、本件事故当時、原告はヘルメツトを着用していなかつた。

(甲一〇、乙七~九)

(三) 本件事故後の症状及び治療の経過

(1) 守口生野病院における症状及び治療の経過

原告は、本件事故後、直ちに守口生野病院に救急搬送されて診察を受けたが、その際、右膝部と左腰部を打撲したと訴えたところ、右膝、腰部のレントゲン検査では異常所見は認められず、右膝打撲擦過傷、腰部捻挫により約二週間の加療を要する旨診断され、当日は湿布と消炎鎮痛剤の投与の治療を受けて帰宅した。

(乙一、四<9>、一〇)

(2) 斉藤整形外科における症状及び治療の経過

ア 原告は、昭和六〇年八月六日、斉藤整形外科で受診し、前日に単車を運転中、交通事故にあい、右膝や頸部が痛い等と訴えたため、斉藤医師は、レントゲン検査を行つたところ、その所見上、第五、第六頸椎間に狭小(昭和五八年時と同様)、腰椎に加齢性の軽度の骨棘形成のほか、第四・第五腰椎間がやや狭小という所見が見られたが、本件事故との関係はない見込みと判断し、原告の症状について、頸部捻挫・頸椎骨軟骨症、腰部捻挫・変形性腰痛症、右膝挫傷と診断した。

イ 原告は、その後も頸部痛等を訴えて通院し、同月九日から温熱療法が開始されたが、同月三〇日、魚釣りをしたところ手指が痛むと訴え、同年九月九日から頸部介達牽引、温熱療法などの治療を受けた。

なお、原告は、同年九月六日に嘔気を訴え、大学病院での受診を希望し、同日、斉藤医師の紹介により関西医大附属香里病院で受診したところ、「レントゲン所見上、頸椎に軽度の椎間板狭小の変化が認められるが、四肢に神経学的症状はなく、受傷後約一か月を経過していることからも、保存療法を含め、特に加療する必要はなく、運動量を漸増して早期の社会復帰を考慮したほうがよい。嘔気については内科的検索を進めたらどうか。」旨診断された。

ウ 原告は、その後も斉藤整形外科に通院して同様の治療を受けていたが、斉藤医師が「原告の症状は、もともと既往症があつたから、一旦収まつていた症状が事故によつて目覚まされたのかもしれないし、いずれ起こるべきものが事故と時期が一致したのではないかという考えも成り立つ。これが全面的に本件事故によつて起きたものとはいえない。」などと説明していたことから、これらの点に相当不満を持つて転医を希望し、同年一〇月二一日、同外科への通院を中止した。

なお、原告は、斉藤整形外科への通院中、右膝部の痛み等を訴えなくなり、その治療も受けなくなつていた。

(甲二、乙二、一八、斉藤証言)

(3) 西淀病院における症状及び治療の経過

ア 原告は、昭和六〇年八月三〇日、西淀病院で受診し、頸部と腰部の痛みのほか、頭痛が持続し、吐き気がする、手を握つた後、指が戻りにくい、手が震えるなどと訴え、項部に緊張が強いと認められて、頸部捻挫、腰部・膝部打撲と診断された。なお、原告は、このとき入院を希望したが、医師から必要がないとして断られた。

イ 原告は、同年一〇月二一日になつて再び同病院で受診し、「九月初めから仕事に行つたり行かなかつたりしていたが、一〇月一九日に重い物を持つて頸部痛が起きた。」などと訴え、その後、同月二五日から、頸部のホツトパツク、マツサージや運動療法の治療を続けた。

しかし、その後も、「仕事を少ししたら頸基部痛が生じた。」(同年一一月八日)、「現場に出ると少し痛む。手が震える。」(同月一一日)、「頸部痛と頭痛が多くなつた。」(同月一八日)、「仕事をして腰痛」(同月二五日)などと訴え、同月二五日から鍼治療が付け加えられたが、その後も、頸部痛、頭痛、手の震え、右肩甲骨付近の痛み(同月末頃から)のほか、腰痛、下肢痛などを訴えていた(特に、仕事をした後に増強するようであり、また、その訴えは日によつて異なつていた。)。

ウ その後も、原告は鍼や運動療法の治療を続けていたが、昭和六一年一月末頃からは左腕のだるさや痛みを訴え、昭和六一年二月一七日頃からは左耳鳴りを訴えるようになつたが(ただし、耳鼻科の検査では異常なしとされた。)、その訴える症状は一定ではなく、自覚症状が他覚的な所見とは必ずしも一致していないと見られていた。

エ 同病院では、原告の訴える症状が軽快しないことから、同年三月一〇日、頸椎及び腰椎について再度のレントゲン検査を行つたが、頸椎については第五、第六頸椎間の狭小及び軽度の角形成、腰椎にはごく軽度のOAが見られるのみとされた。

原告は、その後も、同様の治療を受けていたが、同年四月四日、左肩や腰の痛み、頭がボヤーツとする、眼が霞むなどと訴えて、福島赤十字病院への紹介状の作成を依頼し、同日以降、西淀病院での治療を中止した。

オ その後、昭和六二年三月一八日、西淀病院の黒岩医師は淀川労働基準監督署に対する照会回答書の中で、「第五、第六頸椎間の狭小は椎間板症を疑わせる所見であり、事故との直接的因果関係は不明であるが、間接的には十分関連性があるものと考えられる。」と回答している。

(甲三、四、乙三、乙4<10>)

(4) 福島赤十字病院における症状及び治療の経過

ア 原告は、福島赤十字病院において頸椎の症状に対して有効な治療がなされている旨のテレビ番組を見たことから、昭和六一年三月三日、同病院整形外科を訪れ、耳鳴り(左)、前頭部がぼーつとする、頭痛、項から肩にかけて鈍重感があり、項痛、腰部痛があるなどと訴えた。

そこで、各種検査を受けたが、頸椎の可動範囲は正常であり、第五、第六頸椎の根圧迫で痛みが生ずるほかは、スパーリングテスト、ホフマンテスト等の結果はマイナスであり、特に神経学的な異常は認められず、また、腰部の動きは比較的良好とされていた。

イ 原告は、その後、同年四月五日に通院したのち、同月七日から入院して頸部から腰にかけてのミエログラフイー(脊髄腔造影)検査や、頸椎部のデイスコグラフイー(椎間板造影)検査等を受けたところ、第五、第六頸椎間、第六、第七頸椎間に異常が認められ、同部の椎間板損傷が疑われた。

そして、ステロイド剤注入等を行われて経過観察を受けたのち、同年五月一三日に第六、第七頸椎間について、同月三〇日に第五、第六頸椎間についてそれぞれ経皮内頸椎椎間板摘出術が行われたところ、原告の症状のうち、眼や耳の症状は残存したが、痺れ感等の下肢症状が取れ、また、肩甲骨部の痛みも軽減したため、同年六月二〇日に退院し、以後、経過観察のため、ときどき通院していた。

ウ しかしながら、その後、原告は、項痛等が再度増強したため、同年七月三日に再入院したところ、頸椎椎間板ヘルニアと診断され、同月二五日、第五、第六頸椎間の前方除圧固定術を受けた。その後、原告の症状は軽快し、同年九月二五日に退院して、自宅において安静加療を続けたところ、同年一一月三〇日には、翌月から就業可能と診断された。そして、原告は、同年一二月から勤務を始めたが、昭和六二年三月二日の受診の際、頭痛や耳痛はないが、右背部痛があり、左上肢にときどき疼痛がある、眼がぼやつとするなどと訴え、同月二六日にも同様の訴えをしたため、同月二八日に入院となり、検査の結果、第六、第七頸椎椎間板に軽度の膨隆が認められるとされ、同年四月二一日、同部について経皮的椎間板摘出術が行われた。

原告は、その後も手術をして治して欲しいと訴えたが、同病院の田島健医師は、今のところこれ以上の治療は必要でなく、外来で経過をみるのがよいと説明し、原告は、同年五月一一日に退院した。

エ 原告は、その後も通院して経過観察を受けていたところ、その症状に変化がないとされ、昭和六二年七月二四日、田島医師により、次のとおり症状が固定したと診断され、右後遺障害は、自賠責保険の関係で、脊柱(頸椎)に奇形を残すもの(一一級七号)、骨盤骨に著しい変形を残すもの(一二級五号)に該当するとして、併合一〇級と認定された。

<1> 傷病名 頸椎椎間板損傷

<2> 主訴又は自覚症状 背部痛、項部痛、右上下肢痛、痺れ、目の痺れ等

<3> 他覚症状、検査結果 右自覚症状について、神経学的な異常、他覚的な異常は認められない。

<4> 脊柱の変形(奇形)、運動障害 第五―第六頸椎椎間板、前屈・後屈・右屈・左屈各三〇度、右回旋・回旋各二〇度

頸椎前方固定時、右腸骨より採骨

(甲五~八、一〇、乙四)

(5) その後の治療の経過

原告は、昭和六二年八月に仕事に復帰し、同年九月以降は欠勤することもなく勤務していたが、平成元年四月頃から身体の不調を訴えるようになり、その頃から平成二年一〇月までの間、星ケ丘厚生年金病院の整形外科、内科、神経科等に通院して治療を受けた。

そして、平成二年一〇月一一日、頸椎椎間板変性症の診断名で福島市所在の伊藤整形外科に入院し、同年一一月一三日、第六、第七頸椎間前方固定術を受け(同年一二月二六日退院)、さらに、腰椎椎間内障の診断名で平成三年一月二五日から入院のうえ、精査、治療を受けた。

(甲三〇、三一)

2  原告の受傷内容、特に頸椎椎間板損傷と本件事故との因果関係について

前記の事実を前提として、本件事故による原告の受傷内容、程度、特に原告が本件事故により頸椎椎間板損傷の傷害を負つたか否かについて検討する。

(一) 右膝打撲擦過傷及び腰部捻挫について

前記認定の事実によれば、本件事故により、原告が右膝部打撲擦過傷及び腰部捻挫の傷害を負つたことが認められるところ、このうちの右膝部打撲擦過傷は、斉藤整形外科に通院中に軽快治癒したものと認められ、また、腰部捻挫についても、その後は、頸部に関する訴えが中心となり、腰痛は本件事故から相当期間経過してから西淀病院において再び訴えるようになつたこと(しかも、「仕事をして腰痛」と訴えたこと)、さらに原告には腰椎にも変形があつたことなどを考慮すると、本件事故に起因する腰部捻挫の症状も、昭和六〇年一〇月末頃には軽快していたものと推認することができる。

(二) 頸部捻挫もしくは頸椎椎間板損傷について

前記のとおり、原告は、当初は、頸部捻挫(斉藤整形外科では、頸部捻挫・頸椎骨軟骨症)と診断され、その治療を受けていたところ、本件事故から約八か月後に、福島赤十字病院において、椎間板損傷と診断されたことが認められるところ、

(1) 本件事故により、原告が頭部を直接路上等に打ちつけるなどした形跡は窺えないにしても、原告は、本件事故により原動機付自転車とともに路上に転倒し、身体を打撲していることから、その際、頸椎部に何らかの衝撃を受けた可能性は否定できないというべきところ、原告の頸椎は、加齢性の変性が相当進行していたものと推認でき、そのようなところに衝撃を受けた場合、一般的に、その衝撃の程度に比して、その与えられる影響は大きいと考えられること(斉藤医師も、一般的に、頸椎骨軟骨症の変化がある者は、靱帯も筋も皆弾力性が落ちており、普通の外力でねじつた場合でも、頸椎椎間板損傷が起こりやすいかもしれないと述べている。―斉藤証言19~20丁)、

(2) 原告は、前記のとおり、頸椎骨軟骨症に起因する頸部痛等の症状を訴え、昭和五八年四月から治療を受けていたものであるが、同年一〇月下旬以降、本件事故に至る約一年一〇か月間に治療を受けたことは本件証拠上認められないうえ、原告は、本件事故の翌日から頸部痛を訴え、その後も終始頸部痛を訴えていたこと、

(3) 原告は、西淀病院において、手の震え、下肢や左腕の痛みやだるさ、左耳痛等を訴えたが、斉藤整形外科におけると同様、頸椎についてはレントゲン検査程度の検査しか行われておらず、椎間板損傷については、椎間板造影検査等の精査を受けてはじめて判明したことから、それまでの間は見過ごされていた可能性もあること、

(4) 斉藤医師は、原告の頸椎の症状について、「いつたん収まつていたものが本件事故が引き金になつて発症したか、本件事故によつて早く発症した可能性もあれば、いずれ起こるような症状の発症時期が本件事故が発生した時期と一致した可能性もあり、原告の発症と本件事故との因果関係の有無は断定できない。」「昭和五八年当時訴えていた症状は、原告がその後治療を受けておらず、本人も痛みを訴えていないというのであれば、その時点で治つていたと考えることができるが、いつ再発するかわからない状態であり、そこに本件事故が起こつたから因果関係を判断するのがむずかしい。」旨述べていること(斉藤証言11~12丁)、

などを考慮すると、原告の椎間板損傷と本件事故との間の因果関係の存在を否定することはできないと考えられる。

しかしながら、原告の椎間板損傷の発症については、原告にもともと相当進行していたと推認しうる頸椎の変性が存在し、それが右発症に関与していた可能性が大きいと考えられるうえ、前記のとおり、原告の症状が重くなつたのは、西淀病院通院中の昭和六〇年一一月頃からであり、しかも、それまでに「重い物を持つて頸部痛が生じた。」等の訴えをしていること、さらに、前記認定の本件事故の態様、原告の症状の内容、治療の経過、医師の諸見解、損害発生の状況等の諸事情を総合すると、原告の損害をすべて本件事故に帰せしめることは相当でないと考えられ、本件事故の損害の発生についての寄与度は五〇パーセントと認め、したがつて、被告の損害賠償責任も後記損害の五〇パーセントに限られるとするのが相当である。

二  損害

1  積極損害

(一) 治療費 四一六万六七九四円

(1) 守口生野病院分 五万一六四〇円

乙一五号証の1及び弁論の全趣旨によれば、守口生野病院における前記治療のために右金額を要したことが認められる。

(2) 斉藤整形外科分 三〇万二一八〇円

甲二号証によれば、斉藤整形外科における前記治療のために右金額を要したことが認められる。

(3) 西淀病院分 四二万三九六〇円

甲三、四号証によれば、西淀病院における治療に四二万三九六〇円を要したことが認められる。

(4) 福島赤十字病院分 三三八万九〇一四円

乙一二、一四号証及び弁論の全趣旨によれば、福島赤十字病院における前記治療のため、右金額を要したことが認められる。

(二) 入院雑費 二〇万五〇〇〇円

前記のとおり、原告は、福島赤十字病院に二〇五日間入院したところ、入院に際し一日当たり少なくとも一〇〇〇円の雑費を要したと推認することができるので、その合計額は右金額となる。

(三) 通院交通費、宿泊費等 〇円

原告の福島赤十字病院への通院に際し、相当額の交通費及び宿泊費を要したことは推認することができるが、この金額を具体的に認めるに足りる証拠は存しない(ただし、慰謝料の斟酌事由とすることとする。)。

(以上合計 四三七万一七九四円)

2  消極損害

(一) 休業損害 八四四万一三二〇円

(1) 証拠(甲九ないし一二号証、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和四七年頃から扶桑興業株式会社大阪事業所に溶接工として勤務し、昭和六〇年五月から同年七月までの三か月間に一一二万九四三〇円の給与収入を得ていたほか、毎年夏冬のボーナスとして少なくとも各二〇万円を受領していたことが認められる。

(2) 前記のとおり、原告は、本件事故後症状固定とされた昭和六二年七月二四日までの約二四か月間、治療及び自宅安静のため、度々欠勤し、その間の給与の支給を受けられなかつたことが認められるところ、乙一七号証の2によれば、その間(昭和六〇年八月以降昭和六二年七月末まで)に合計一三九万四一二〇円の給与の支給を受けているので、原告の休業損害は次のとおりと認められる。

(1,129,430×4+200,000×2)×2-1,394,120=8,441,320

(二) 後遺障害に基づく逸失利益 五七九万四八四九円

前記の原告の後遺障害の内容、程度、症状固定とされた日以後の症状の推移及び勤務状況等に照らすと、原告は、本件後遺障害により少なくともその主張する五年間にわたり平均してその労働能力を二七パーセント喪失したものとして逸失利益を算定するのが相当である。

そこで、前記収入額を基礎とし、ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の後遺障害に基づく逸失利益を算出すると、次のとおりとなる。(1,129,430×4+200,000×2)×0.27×4.3643=5,794,849

(以上合計 一四二三万六一六九円)

3  精神的損害(慰謝料)

前記認定の諸般の事情を考慮すると、原告の慰謝料としては、入通院分として一九〇万円、後遺障害分として三六〇万円の合計五五〇万円とするのが相当である。

4  本件事故の寄与度に応じた損害額

前記のとおり、被告が責任を負うべき損害額は、本件事故が寄与した割合である五〇パーセントに限られるというべきであるから、その額は次のとおりとなる。

(一) 積極損害 二一八万五八九七円

(二) 消極損害 七一一万八〇八四円

(三) 精神的損害(慰謝料) 二七五万円

三  過失相殺

1  前記一1の事実によれば、被告は、本件交差点を左折するに際し、予め道路左側に寄り、左側の後続車両との安全を確認すべき注意義務があつたのにこれを怠つて進行した過失により本件事故を起こしたもので、その過失の程度は大きいというべきである。

他方、原告としても、本件交差点を直進進行するに当たり、前方の進路の安全を十分確認しないまま進行したため、右前方を進行していた加害車が左折の合図をしたのに気づかず、漫然と時速約三〇キロメートルの速度で進行したため、本件事故発生に至つたものと認められ、原告にも落ち度があつたといわざるを得ない。

右双方の過失の内容、程度、その他諸般の事情を考慮すると、原告と被告との過失割合は、原告二割、被告八割とするのが相当である。

2  したがつて、原告の前記損害額から過失相殺として二割を控除すると、原告が請求しうべき損害額は次のとおりとなる。

(一) 積極損害 一七四万八七一七円

(二) 消極損害 五六九万四四六七円

(三) 精神的損害 二二〇万円

四  損害の填補

1  労災保険からの給付による填補

前記のとおり、原告は、労災保険から給付を受けているところ、乙一一ないし一四号証によれば、その給付は、療養(補償)給付金三三八万九〇一四円、休業補償給付金一六七万二〇八二円、障害補償給付金一〇八万七六五四円であるので、これを給付の趣旨に従つて前記三2の損害額の填補に充てると、その残額は次のとおりとなる。

(一) 積極損害 〇円

(二) 消極損害 二九三万四七三一円

(三) 精神的損害 二二〇万円

2  被告及び自賠責保険からの給付による填補

前記第二の一4のとおり、原告は、損害の填補として、被告及び自賠責保険から合計七六五万四七八〇円の支払いを受けているので、被告が負担すべき原告の損害額はすべて填補されていることになり、その残損害額は存しないというべきである。

五  弁護士費用 〇円

本件訴訟の結果及び審理の経過に照らすと、本件事故と相当因果関係に立つ弁護士費用相当額の損害は認められないというべきである。

六  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 二本松利忠)

寝屋川方面行車線

<省略>

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